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ハロウイーンはもともとはケルト人が秋の収穫を祝い ケルト語で「夏の終わり」を意味するそうです。11月1日はケルト暦の新年になります。10月31日は大晦日です。故人を偲ぶ行事で日本のお盆のようなものです。死者の魂が帰ってくるのでごちそうをつくって災いがふりかかってこないように御もてなしをするのです
。現在のハロウイーンのイメージは米国で発展したようです。アメリカにいた時この夜には大人も子供も魔女やお化けに仮装して「トリック オア トリート」 お菓子をくれなきゃいたずらするぞと唱えながら 近所の家を回ります。お菓子をあげたくない時や留守にする時は真っ暗にしておかないと
スプレー やトイレットペーパーを巻きつけられたりといたずらをされてしまいます。
仮装するのはよみがえった魂を寄せ付けないためにいろいろ仮装したのが由来のようです。今では 子供はかぼちゃになったり 好きなキャラクターになって仮装パーティーを楽しんでいるようです。
我が家の子供も仮装してお菓子をもらったり ときには コインだったり りんごだったりといろいろな思い出があります。 しばらくしまいっぱなしだった ハロウイーンのお飾りを出してみました。懐かしい思い出が頭の中いっぱいです。走馬灯のように。
お隣の 独り者のおじさん この季節になると玄関の木の下に魔女をつるします。
そうなんです。アメリカでも このころになるとあちこちでほうきに乗った魔女がうろうろいましたよ。
おじさん 魔女に襲われないように御もてなししているのかな ????日本だから大丈夫???かな
いつもは8月の初めに開催される「鎌倉花火大会」 今年大潮の関係で今日でした。 鎌倉花火大会にはいろいろな思い出があります。 小学生の時鎌倉へ引っ越してきて 初めてみた材木座海岸での花火大会 そのころ材木座海岸は 今とはかなり雰囲気の違う海の家がぎっしり・・・・そしてその周りに射的屋 スマートボールといった 今でいうゲームセンターがずらりと並んでいて 花火の前後 夢中になって両親と過ごした時間・・・・思い出すと胸がじーーーんと・・・・・。 学生時代はそれぞれの友達と見た花火 懐かしい顔 顔 顔が・・・ 彼氏と見た花火 結婚して子供と見た花火・・・ ドイツ赴任が決まった夏の花火 何故か涙がボロボロ・・・・・ 隣に母がいたなーーぁ。 長ーーイ 海外生活を終え 子供も花火に興味はなく…・夫婦で見た花火 そしてここ数年・・・・子供らに見放された仲間が集まり早朝から海岸に席を確保し お弁当 ビール持参の花火大会 船の上から投げ込まれた花火の玉・・・・・ ドーーーーンという大音響に合わせて歓声・・・・あまりに海岸に近く吹きあがった火柱が襲ってくるような…・こんなこともありました。 こんな花火大会の思い出を 今年は いろいろなことが重なったので 海岸に出ることなく 静かに家で音とともに楽しみました。
さすが、白金。
多くの、外国人がワイングラスを片手に楽しそうにランチをしていました。
その光景から、以前、海外で暮らした頃を懐かしく思い出しました。
ドイツ、イラン、アメリカ、イギリスと様々な国で暮らしたが、どの国でも現地の人と、どんなに仲良くランチしたり、旅行したり、共に時間を過ごしても、どこかいつも自分はよそ者という違和感がありました。
日本人の中にいれば居心地もよく・・・・でも現地の人の温かさも離れがたく・・・・こんな葛藤がありました。
日本に滞在する 彼らもそんな思いがあるのかしら・・・・・???
先日、毎週通う英会話のクラスで1人の男性のある言葉でイギリス人の先生を傷つけてしまう出来事がありました。それは、私たちのボキャブラリー不足や国民性に対する無知からでしょうか。お互い、それぞれが心意を伝えようとしたけれど、そこにはもう限界があり、スッキリしないまま終わってしまいました。
私もアメリカでも イギリスでも 理解してもらえてない歯がゆさを度々感じたことがありました。
理解しえない部分はあっても みんな忘れられない友達です。
この会話のクラスの先生も 仲間も 誰も、悪くない。みんな素晴らしい人たちの集まりです。
雨降って地固まるで、もっと、もっと強い絆で結ばれて行くことを望みます。
これから、日本もグローバルになっていくには、国民性を学び、ボキャブラリーを増やすことが必要だなと感じながらの白金のランチでした おしゃれなレストランでした
残念でした。 上村愛子さん。 でも彼女の涙を流す姿は感動的でした。素敵なアスリートですね。
アメリカはすごーーーい。愛子さんのターーンの滑り方を研究して練習を積み重ねた成果だとコメンテーターが言っていました。
私はアメリカ イギリス 日本 のオリンピックの盛り上がり方の違いを見てきました。
日本はオリンピック=メダルであまりにも選手にプレッシャーを与えすぎているように思えます。練習で出来ていたことがプレッシャーに押しつぶされて選手が小さくなっています。
アメリカでは オリンピックは国をあげてのお祭りでした。勿論選手はいろいろなプレッシャーを抱えているのでしょうが その日が今までで一番良かった・・・と言う選手のインタビューをよく観ました。メダルを取りたいことには違いないでしょうが まず楽しむことが大切と選手も 応援する人々も感じているのにすごく感動した記憶があります。アメリカにいるとき周りに圧倒され日本人を応援するのを忘れたこともありました。 そのくらい盛り上がっています。それがいつものメダルの数に繋がっているのでしょう。
そしてイギリスでは オリンピックには全く興味なし・・・・がとても多いのです。
テニスクラブにある大きなテレビではウインブルドンのテニスかサッカーです。ウインブルドンのテニスが始まるとおばあちゃんもおじいちゃんもサンドイッチを持って出かけていきます。でもオリンピックになると・・・・・
場所は表参道にあるマノワール。 シェイイノの井上シェフの奥様のお店です
店内は席の間隔もゆったりとしていて大きな窓ガラスから庭や木々を眺めながらのお食事です。
順子さんが奥様とお親しいというお陰でたくさんサービスをしていただき感激の連続です。
お料理はオマール海老と野菜のモザイク仕立て
ポルト酒たっぷりのフォアグラのフラン フォアグラのソテーがのっていて嬉しいのですがちょっとカロリーが・・・・・・気になります。
子牛の・・・
といいながらも完食
そしてデザートタイム 何種類ものケーキを見て全種類お願い・・・・・・・ね。
もっと小さくカットされるのかと思い・・・・・ました。すごいすごい・・・・圧巻です!!!!
このメンバーシカゴで共に良く遊び 良く働いた仲間です。思い出話は何時間あっても足りません・・・といっても残念ながら優雅なお食事タイムはそれぞれの親の 兄弟の介護 病気の話でした。
あのシカゴで共に過ごした楽しい時間はすでに過去のもの。
嫌と言うほど現実を感じた時間でした。すごく良い仲間です。出来るだけ多くの時間を共にしましょうと約束してお別れしました。レストランの皆さん何時間も何時間もおしゃべりさせていただき そして何杯もコーヒーのお変わり 最後までご親切でていねいなお見送りありがとうございました。
又行きたいお店です。そしてシカゴの仲間との素敵な出会いに今更ながら感謝です。
ちょうど箱根のススキ草原は見ごろでどこにでもあって地味なのにここにきては太陽の光を浴びてきらきらと輝いていました。
お食事も最高 お天気も最高 富士山にもお迎えしていただき 大涌谷では地球の息吹をたくさんいただきエネルギーを蓄えてきました。 ありがとうございました。 帰宅後アメリカの息子とスカイプで小一時間おしゃべりしました。こんなこと滅多にないこと・・・・うーーーーん幸せでした。親ばかです。
10月13日は父の命日です。もう21年にもなります。父はおしゃれでガウンはえんじ色のシルク 日曜日の朝はおしゃれなセーターをダンディに着こなしてゴージャス(?)なティカップでコーヒーを。・・・・・とこんな人でした。今日のような秋晴れの日曜日の朝 どこからかおしゃれな父が現れてきそうな気がします。おしゃれなtea time そして 美しくセッティングしたディナーには超ご機嫌でした。でもでも こちらはまだ子育て真最中 なかなかご希望をかなえて上げられませんでした。
今ならこうしてあげた・・ああしてあげた・・・と後悔ばかりが募ります。娘時代はどこにでも私を連れ歩き 二人で銀座でデート 京都旅行と思い出がいっぱい。
でーーーーーも私に婚約者が出来たとき 私はすっかりそちらに心変わり。父も彼のことが大好きでしたので 何かにつけて私たちのデートに付いて来たいのです。邪険にしながらも物や えさで随分と釣られましたが・・・・それでも父が嬉しそうにしていると私の幸せは倍になりました。私たちが海外に居るときもまだまだ日本食が乏しい時代日本からお土産を運び旅行に お食事にと私たちの生活にうるおいを与えてくれました。残念なことに亡くなる2年前脳梗塞で半身不随になり おしゃれも・・・・(涙)熱海の温泉つきのリハビリセンターでがんばりましたがそれも・・・・・・・(涙) TAKが毎週行ってひげを剃って散歩に出かけるこんな生活が続きましたが・・・・・(涙)父が教えてくれた 生活は美しく 楽しく 人にはやさしく(父はお人よしすぎでしたが) 大切に心に留め実行していきたいです。 父に感謝。そして最後まで私以上に父に尽くしてくれたTAKに感謝です。
秋のお彼岸が近づくと 赤い燃えるような彼岸花があちこちで咲いています。中国が原産地で日本にはこの花が有毒のため 田や畑をねずみやもぐらから守るため中国から持ち込まれ 田の畦道などに植えられました。今では町中 空き地 家庭の庭 至るところでさいています。彼岸花の花言葉は “悲しい思い出 ”とのこと。 子供の頃 まだそんなに花の数が多くないので 彼岸花 金木犀というとたくさんの思い出が蘇ってきます。 あの赤 そして姿に魅せられ 庭にも欲しいと思ったことがありました。母は毒があるとは言わずに あの花を切ると 家が火事になるから あれはそっと見るだけの花なのよ。と教えました。 未だに私は秋だな・・・ お彼岸だな・・・と思いながらそっと彼岸花を見つめます。決して触りません。切りません。でも色姿は大好きです。有毒でありながら処し方で漢方にもなるとか。別名 サンスクリット語で “ 曼珠沙華 ” 何かいろいろな意味がありそうな花ですね。
彼岸花を見ると思い出す母は 7年前 私の腕の中 静かに目を閉じました。
91歳でした。
アーミッシュの人々は今に言う “ スローライフ ” を送っています。
現代のアメリカで文明を拒否し 電気 水道 ガス テレビ 自動車もない生活です。町には馬車が走り農業を中心とし 子供も一緒に働きます。
おしゃれになったり 自分を意識することも禁じられているので撮影もさせてもらえません。女性の服装はほとんど同じでボタンもジッパーもついていなくてリボンです。
お土産やに観光客相手にキルトや手作りキャンドルなどが売られていてこれらが彼らの生活の糧です。アーミッシュ同志の絆は強くみんなが一つの家族のような生活です。写真はアーミッシュ独特の服装のご婦人と町を行きかう馬車です。 アーミッシュ村で買い求めたろうそくです。たくさんの松ぼっくりやドライフラワーがはいっています。
アーミッシュの人々はカトリック教会から迫害を受けてドイツからアメリカに移り住んだ人々です。
マリア様などを拝まないプロテスタントの一派で 洗礼の自由が認められています。キリスト教ってかなり複雑ですね。 前にブログに書いたユダヤ教も含めて。
岸恵子さんの本を読んでからずーと気になるお友達がいます。 イギリスにいた時テニスクラブにはいっていました。 毎週金曜日の夕方は家族皆でそのクラブに集まります。テニスで汗を流しそしてお食事です。
クラブのお食事ですからたいして美味しくもないので 時には近くのイタリアンや Fish&chips に場所を変えておしゃべりをして絆を深めて行きました。4〜5家族の集まりでしたが私たち以外は皆ユダヤ人でした。敬虔な信者なら金曜日にはテニスなどもってのほかですが彼等は・・・・・・・・でした。でもパスオーバー( 過ぎ越しの祭り )には親しい友人を招いて盛大にお祝いします。私たちも招かれました。 初めてのことでとっても緊張しました。
パスオーバーは “ 十戒 ” と言う映画にもなりましたが
エジプトで奴隷だったユダヤ人が モーゼに導かれ エジプトを脱出し 自由の身になったことを
祝うお祭りのことです。このころになるとイースト菌が使われていないぺったんこの “ モッツア ”というパンを見かけます。これは脱出にイースト菌を使って発酵させる時間がなく 途中で砂漠の太陽で焼いて空腹を満たしたものです。。パスオーバーが近づくと 家の大掃除 ちょうど日本人がお正月を迎えるような雰囲気です。とっても驚いたことは小麦粉関係の食料は全て処分します。パスタですら
家には置きません。私たちに持っていって欲しいと言われましたが あまりの量の多さにパスオーバーが過ぎて返してあげると受け取るのが ちょっと意味不明でした。
ユダヤ人が口にする食料は彼等の専門店デリカッセ